2025/08/10

消えた蝉しぐれ

 盛夏だというのに、今年は蝉の鳴き声があまり聞こえて来ません。鳴いてはいますが、例年のように辺り一面に降り注ぐような「蝉しぐれ」には程遠く、どこか元気がないように感じます。

 昆虫学者によると、梅雨が短く終わり、猛暑で地中温度が上昇、羽化のタイミングを逃した幼虫が多かったのではないか、ということのようです。やはり異常気象のせいですか。確実に自然の営みが壊れていますね。

 この「蝉しぐれ」、どうしても8月15日の「終戦の日」とイメージが重なります。蝉が鳴かない「終戦の日」は想像できないのです。私一人の感覚かもしれません。「国民が終戦を知ったあの日も、暑く、しきりに蝉の鳴く声が聞こえるだけだった」などと、語られることが多いからでしょうか。

 お盆の季節に「広島、長崎の原爆、終戦の日」と続くので、日本人にとって「鎮魂の8月」と言われます。ふだんは自堕落な生活を送っている私も、さすがに、この時期は「戦争と平和」を考えます。

 今年は戦後80年。廃墟から立ち上がり、高度成長で平和と繁栄を達成したかに見えた時期もありましたが、日本は今また、混乱と不安、不信の時代にあります。

 日本の戦後について論じるのは、このコラムの趣旨ではありませんが、ひとつだけ言わせていただくと、「いまだに食事をまともにできない子どもたちが存在し、私たちのようなフードバンクが食料を配って歩く世の中になるとは、想像だにしなかった」ということです。終戦直後の食糧難の時代ではないのです。

 豊かな飽食の時代を謳歌する人がいる一方で、子どもが食事に事欠く家庭があります。この「貧富の差拡大」と同時に深刻なのが「地域社会の崩壊」。昔は困った家庭があると、祖父母や親類、近所のおじさん、おばさん、皆が、なんだかんだ言って子どもの面倒を見たものです。

 「都市化、核家族化、経済構造が変化した必然の結果」と言ってしまえばそれまでですが、私たちが支援するシングルマザーの家庭で、両親や親類からのサポートがとても少ないことに気がつきます。結局、行政かフードバンクしか頼るところがない、ということになるんですね。

 この80年、日本人の生活レベルは飛躍的に進歩しましたが、本当に幸せになったのか、議論は分かれるでしょう。フードバンクから食料をもらう子どもたちには将来、幸せをつかんでほしいと願うばかりです。

 余談ですが、かつて海外で「蝉の鳴き声」を意識したことはありませんでした。蝉は東南アジア、アメリカ大陸など世界各地に分布しているはずですが、なぜか聞いた記憶がないのです。街中ではなく、森の中で鳴いていたのでしょうか。外国人には「雑音」にしか聞こえないといいます。俳句の季語にもなる「蝉の声」に情緒を感じるのは日本人だけかもしれませんん。  (有道)